文章力

投稿番号[2056] 天気

お疲れさまです。

長らくブログを書いていて、今回で2056投稿目になりますが、いまだに消えぬ課題があります。
文章力
ブログに移行する前の日記型BBSの頃からずっと悩ましいことです。
もっと魅力的な文章が書けたらいいのに。

と言いつつ、何も勉強していません。
読書などの情報収集もしていません。
何の努力も無しに文章がうまくなるなんてありえません。
もちろん、“天賦の才”をお持ちの方もいらっしゃると思います。
残念ながら、正憲にはそれがありません。

“起-承-転-結”
中学ぐらいでそういう文章構成を学び、随筆などを書かされました。
随筆なんて、話題選びが良し悪しの半分以上を占めていますよね。
本を読まない正憲には何が面白い話題なのか想像ができませんでした。

学ぶ機会を逸し、独学自学の努力を怠って十数年、今になって「あ〜、残念な結果になったなぁ」としみじみと思うわけです。

仕事柄の文章書きの機会もありました。
ただ、面白さや高尚さを求められるものではなく、目的と結果をしっかりと伝えるもの。
“起-結-承-補”
分かりづらいので大雑把に当てはめると、“目的-結果-方法-考察-補足”という感じでしょうか。
学生時代には“小論文”というのもありましたが、学術誌に載せる“論文”とは違うものだと思います。

読む雑誌もこんな感じで書かれているものが多いので、自然とそういう癖がついてしまいます。
結果を先に書きたがる。
推理小説が始まって、次のページで「犯人は○○でした」と書いているようなもの(苦笑)。
あとはそれをウダウダと具体的に説明する文章が続きます。

正憲は官能小説には全く不向きです。
読者の想像力を広げ、妄想を掻き立てるような表現の連なり。
そういった文章を書くことができないから。
論文のように確定したことを理路整然と書き連ねる文章になってしまうので、興奮も妄想も沸き立つことはありません。

表現と言えば、時々マスコミに登場する彼の国のプロパガンダは、内容はともかくよくできているものだと呆れるやら関心するやら(苦笑)。
「我々式の最も強力な先制攻撃が任意の時刻に無慈悲に開始される」
「最も強力な軍事的手段によってすべての迎撃手段とその牙城を無慈悲に粉砕する」
「敵が敢えて襲いかかるなら、降伏文書にサインする者も残らないように掃討せよ!」
「キノコ生産を科学化、集約化、工業化して、わが国をキノコの国にしよう! 」
支離滅裂、笑うしかないスローガンや発言ばかりですが、印象に残りやすい表現はある意味才能だと思います。

学生さん(生徒さん)がこのブログを見ることはほとんどないと思いますが、若い方に申し上げたいのは「漢字」と「文章」は学ぶべき時期にしっかりと学んでおくことを強くお薦めします。
履歴書を見る立場になって、平仮名ばかりの自己推薦書を読むと、同じ内容なら漢字を正しく使い、敬語や適切な表現をきちんと書けている人のほうを採用しようと判断しています。
人柄や服装などの面談の成績ももちろんですが、「書く」ということはいろいろな意味で社会生活上重要だと今になって思うわけです。
学べるときにしっかりと学ばないと、正憲のようにあとで後悔することになります。

今できることと言えば、他の方のブログや文章を読んで、その表現を真似てみることぐらいです。
見て学べ聞いて学べ、ということです。
そうすることで、自分の文章力や表現力を少しでも豊かにしたいと考えます。
最初は真似事でも、自身の中でしっくりと使うことができるようになれば自分のものになります。
「四十にして惑わず」と言われますが、迷いっぱなしなのですよ(苦笑)。

何を書きたかったか分からなくなってきましたが、文章というものは本当に難しいなぁと思いながら、ブログを書いていることへの矛盾と絶望を吐露したということで締めたいと思います(苦笑)。

一つの記事を5回ぐらいに分けて書くと、前半と後半で内容が変わってしまうことを今更ながら知りました(^^ゞ

「文章力」への2件のフィードバック

  1. 文章力の問題、なかなか悩ましいところがありますね。
    やはり二つに分けて考えないといけませんね。
    小説などの技巧的な文章と、実用的な文章と。
    謙介の在学していた頃でさえ、学生の文章力が弱すぎ!と
    いう批判がありまして、実践文章講座という授業がありました。
    これは毎回教授からテーマを与えられて、文章を書き、それを
    受講生全員分コピーをして配り、この文章のどこが悪いのか、を
    分析して出し合う、という授業でした。1年間の授業は本当に
    胃が痛くなるようなことの連続でしたが、それでずいぶんと文章を
    書く力がついたように思います。 実用的な文章を書くときにまず
    考えないといけないことは、「誰がこの文章を読むのか」ということ
    だと思うに至りました。
    読む相手・読む対象を想像して、この言い方でいいのか。この説明の
    仕方で読む相手が理解できるか、ということを想像して書く、という
    ことが大切じゃないか、と思います。国文科って、詩歌小説随筆の
    分析方法は講義で教えてくれるのですが、実際の文章はやはり、
    自分で何とかしないといけませんでした。謙介の場合、院に行って、
    少人数の授業で、毎回レジュメに書いた文章を「こんな文章
    何を言いたいのか分からん」「もっと分かりやすい表現を使え」と
    国語学の先生から叱責されておりました。国文科だから文章が
    上手な人が多いか、と言えば、やたらテクニックに走って、難しい
    表現ばかり使ってさっぱり分からん、という人も多くいて、、。
    結局は文章を書くときの他者への想像力の有無が大きい、と
    感じた次第です。ただ、難解な言葉を使うだけに
    確かに漢字力については、みんなすごかったです。誤字脱字は
    ほとんどありませんでした。

    1. ◆ 謙介さん
      ——————–
      大学入試センター試験でも現代文は「評論」と「小説」に分かれていました。
      おっしゃるように大きく2つに分けられるということですね。
      国語の授業が内容を読解することに力を入れていて、自らを表現することは二の次ぐらいだったと今は思います。
      センター試験も解釈についての質問がほとんどです。
      読み取る力、特に恣意的に行間を読み取らせる授業・テストがほとんどなのに、場の空気を読めない(KYって廃語ですね;笑)人が増えてきたのはどういうことなのか分りませんでした。
      謙介さんのコメントを拝見して、なるほど!思いました。
      文章を書く際に、常に「相手を想像して」言葉を選んだり、表現を変えたりするということですね。
      相手がいるから、その人の思いや考え、受け方を想像するという回路が働くわけですので、自ずと“空気を読む”力も備わってきそうです。
      自分を訴えるだけだと、相手がいないことがあります。
      いわゆる呟き、独り言ですね。
      ブログは自己表現なので、相手に合わせて内容を変える必要はないと思いますが、読んでくださる方に伝わらない表現や言葉では、ブログの機能を果たしていると言えません。
      呟きならTwi○○erでも十分ですから。
      諭していただきましたことを自分なりに考えて、文章の工夫(おいっ、勉強をしろ!笑)をしていきたいと思います。
      有難うございました。
      漢字は・・・・・、もう覚えられません(苦笑)。

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