旧友恋(1)

投稿番号[2041] 天気

お疲れさまです。

昨年末にいろいろありまして、お年賀を辞退しました。
年明けて、寒中お見舞いを出したわけですが、予定していたリストではなく、お年賀をいただいた方々に出すことにしました。
ご挨拶が遅れて申し訳ございません。
正憲の連絡遅れが原因なので、私のほうが100%悪いです。

だんだんと年賀状のやりとりをする人が決まってきました。
ふと届いてびっくりする人もいるのですが、若干名です。
達筆で美しい賀状や家族写真、面白い工夫をしたもの、普通のもの、様々です。
毎年届くその中に、高校の同級生からの1枚があります。

高校の同級生、彼はイケメンの部類で、スポーツマン。
そうですね、R君としておきましょうか。
二度と登場しないと思うので、ニックネームはつけません(笑)。
そのR君から毎年年賀状をいただきます。

彼について、記憶をたどり思い出しながら書こうと思います。
面白いオチがあるわけではなく、ただ単に思い出話ということです。
つまらない文章ですので、華麗にスルーしていただいて構いません。
文章下手過ぎて、途中で泣けてきました。

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小中学校はあまり良い思い出はなく、その頃からの付き合いの人はほぼいません。
「オカマ!」と言われて、友人がほぼいなかったのです。
中学は多感な時期のため、女子からもカラカワれる日々でした。
一日でも早く卒業したい、そう思いながら過ごした小中学の9年間。

高校は、同級生の進学がほとんどない学校を選びました。
両親には「プールが・・・」とか「距離が・・・」とか難癖つけて、進学してほしいと思っていた学校を辞退。
成績は比較的良かったので、希望した高校に入学することができました。
「オカマ!」と呼ばれていたことを知らない人たちだったので、自分なりには新たな出発と喜んでいました。

高校入学後は、できるだけ“男らしく”振る舞うように意識しました。
といっても小中学も女っぽかったわけではないと思います。
両親が標準語を話すので、正憲も日常会話が標準語でした。
当時の那覇は日本本土復帰から10年も経っていない頃でしたので、本土出身者はまだ少なく、ウツナーヤマトゥグチが普通でした。

標準語の話し方=女っぽい
そんな印象から「オカマ!」という呼ばれ方になったと思います。
高校の頃はかなり本土化してきて、標準語も普通になってきました。
また、高校自体がいろいろな地域から集まるので、地域言葉が成り立ちません。
自然と標準語で話すようになっていました。

高校は進学クラスで、かなり厳しいクラス設定でした。
優秀な人たちが集まっている雰囲気が十分に感じられました。
男女の比率に関係なく、成績でクラス配置が決まります。
正憲のクラスは圧倒的に男子が多かったです(嬉)。

クラス自体は全員で打ち解けるような雰囲気ではありませんでした。
進学のために集められている、とお互いに暗黙の認識を持っていたようです。
3年間同じクラスでありながら、ほとんど会話したことがない人もいました。
不思議な関係ですよね(苦笑)。
当時は進学クラスだから普通のことと思っていました。

初めてのクラスに、R君はいました。
イケメンさんでありながら、とても賑やかで人と楽しませるタイプ。
正憲はダサ系で目立たなくヒッソリなので、会話するきっかけすらなかったです。
R君はクラスのイケメングループと一緒にいるので、正憲はいつも遠巻きに見ているだけ。
自分とは違う世界の人だと感じていました。

さて、無事新たな環境に入れた正憲ですが、実は体調が思わしくありませんでした。
中学の時からアレルギー性鼻腔炎になり、近くの医院に通院治療をしていました。
それがだんだんとひどくなり、中学卒業の頃には慢性副鼻腔炎に悪化。
週1〜2回だった通院が隔日になり、高校入学後にはほぼ毎日になりました。

登校前に病院に行って処置をし、帰りには再び処置。
毎日この繰り返しでした。
朝登校して友人と話しをするなんてことはほぼなく、1時限目の途中で登校する日々。
休み時間も漏れ出そうな鼻汁をかむためにトイレ直行でした。

こんな状態でしたので、友達ができる機会はありませんでした。
1学期は担任が指定した席でしたが、周囲の人と話した記憶がありません。
副鼻腔炎による頭痛や体調不良で、休み時間もほぼ寝ていたからです。
2学期に入り、いよいよ副鼻腔炎がどうにもならなくなったので、大きな病院で診てもらうことになりました。
休み時間のトイレ通いと終業後の通院は相変わらず。

大病院での初検査の結果、手術が必要ということになりました。
学生ですので時間を考慮して春休みに行うことで決定。
それまで通院し、頭痛や大量の鼻汁に堪えなくてはなりませんが、手術で苦痛から解放されると思い、頑張る気力が湧いていました。
あの頭痛は今思い出しても相当きつかったです。

冬休みが終わって3学期になり、初日に定例の「席替え」がありました。
当然ですが、朝の「席替え」抽選には正憲は登校していません。
朝の通院を終えて登校すると、3学期の席はすでに決まり、机の中身も移動されていました。
休み時間に登校し、自分の席を教えてもらって着席したら、2限目のチャイムの音。

正憲の隣席に休憩から戻ってきたのは、R君でした。